ヨコハマ TEA PORT TOWN が生まれた訳、でもある、「横浜とお茶」の歴史の数々。私たちの想いの源となった、数々をご紹介いたします。
港町ヨコハマ。この名前が始まったのは、今から150年以上前の、横浜港開港から。日本が長い鎖国を終えて、世界に扉を開けた瞬間からでした。
当時の主要輸出品は、「絹」と「お茶」。ヨーロッパ各国、当時台頭してきた特にアメリカに向けての輸出が始まったのです。「お茶」は、その中でも需要の大変大きい品目。日本中から集められた「荒茶」とよばれる製品化前の「茶葉」は、ここヨコハマに集められ、「お茶場」と呼ばれた製茶工場で、製品としてのお茶に仕上げられました。
当時の横浜山下町周辺には、多くの「お茶場」があったとのこと。工場では日本中から集められた「荒茶」という状態の「お茶葉」が、紅茶や中国茶に再生加工されていたそうです。その工場に勤めていた女性の数は、数千人!!毎朝、鐘の音を合図に、現在の横浜公園に集合し、女工としてお茶作りに従事しました。その労働は、かなり過酷。こんな流行唄もありました。
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野毛山の鐘がゴンと鳴りゃ、 港が白む、
早く行かなきゃ、カマがない
慈悲じゃ情じゃ 開けておくれよ火番さん
きょうの天保をもらわなきゃ
なべ釜へっつい みな休む
箸と茶碗がかくれんぼ
飯盛りしゃくしが隠居して
お玉じゃくしが身を投げる
お茶で生計を立てて、お茶の輸出を支えた 横浜の女性たちが、ここには居たのです。
「横浜とお茶」のお話は、随時追加いたします。
様々な歴史の側面と、現在を お伝えいたします。
参考資料;『[年表]茶の世界史』松崎芳郎著 八坂書房、『喫茶の歴史』読売新聞京都支局編
浪速社、『茶の世界史』ビアトリス・ホーネガー著 白水社 他