横浜とお茶のお話

ヨコハマ TEA PORT TOWN が生まれた訳、でもある、「横浜とお茶」の歴史の数々。私たちの想いの源となった、数々をご紹介いたします。

1・1859年、今から153年前。横浜港からお茶が世界へ。

当時の「お茶場」の様子」横浜開港資料館所蔵
当時の「お茶場」の様子」横浜開港資料館所蔵

 港町ヨコハマ。この名前が始まったのは、今から150年以上前の、横浜港開港から。日本が長い鎖国を終えて、世界に扉を開けた瞬間からでした。

 当時の主要輸出品は、「絹」と「お茶」。ヨーロッパ各国、当時台頭してきた特にアメリカに向けての輸出が始まったのです。「お茶」は、その中でも需要の大変大きい品目。日本中から集められた「荒茶」とよばれる製品化前の「茶葉」は、ここヨコハマに集められ、「お茶場」と呼ばれた製茶工場で、製品としてのお茶に仕上げられました。

2・朝の横浜公園が、お茶の女工の集合場所。多くの「お茶場」が街にありました。

唄に歌われた「野毛山の鐘~」は、現在の伊勢山皇体神宮。
唄に歌われた「野毛山の鐘~」は、現在の伊勢山皇体神宮。

当時の横浜山下町周辺には、多くの「お茶場」があったとのこと。工場では日本中から集められた「荒茶」という状態の「お茶葉」が、紅茶や中国茶に再生加工されていたそうです。その工場に勤めていた女性の数は、数千人!!毎朝、鐘の音を合図に、現在の横浜公園に集合し、女工としてお茶作りに従事しました。その労働は、かなり過酷。こんな流行唄もありました。

 

 

 

 ♪

 野毛山の鐘がゴンと鳴りゃ、 港が白む、
 早く行かなきゃ、カマがない

 慈悲じゃ情じゃ 開けておくれよ火番さん
 きょうの天保をもらわなきゃ
 なべ釜へっつい みな休む
 箸と茶碗がかくれんぼ
 飯盛りしゃくしが隠居して
 お玉じゃくしが身を投げる

 

お茶で生計を立てて、お茶の輸出を支えた 横浜の女性たちが、ここには居たのです。   

 

 

「横浜とお茶」のお話は、随時追加いたします。

様々な歴史の側面と、現在を お伝えいたします。

 

参考資料;『[年表]茶の世界史』松崎芳郎著 八坂書房、『喫茶の歴史』読売新聞京都支局編

 浪速社、『茶の世界史』ビアトリス・ホーネガー著 白水社 他  

イベント実施のお知らせ

開催日:2015年2月28日(土)
時 間:PM14:00~16:00
会 場:横浜市民ギャラリーあざみ野             3階アトリエ

地 図:地図はこちら

問合せ:お問い合わせはこちら

facebook/twitter/Blog/メルマガで最新情報を発信中!    お茶情報をゲットしよう!

横浜お茶イベントfacebook

ヨコハマTEA Port town facebook

横浜お茶イベントtwitter

ヨコハマTEA Port town twitter

横浜お茶イベントBlog

横浜お茶イベントブログ

シェア(推薦)しよう!

お友達にもオススメしてください。

スマートフォン対応!

当サイトはスマホにも対応!最新情報がスマートフォンからご覧いただけます!

 

QRコードから簡単にアクセス!


Loading